第十四回夏期中国語研修報告
1993.7.26〜9.1


歴史と語ろう、西安の旅

D班 92C0×× 駱駝

ボロイボロイと聞いて心配していた中国国内線の飛行機だが、北京―西安間においては杞憂であったと言えよう。国内線のチケット
中国西北航空のあやしいマークとはウラハラに、なかなかイケル機内食の満足感がさめる間もなく我々は西安についた。
専門の中国文学よりも何よりも世界史、それも古代史を愛する私は今回の西安行きに、ひそかに期待をしていた。

まず咸陽空港で西安の夕日が拝めたことに一人で鼻息を荒くし、次に夜の西安を一時間ほどバスに乗って着いた万年飯店の豪華さに目を丸くした。
石家荘とは比べものにならない、この待遇と食事のうまさ。
そして、もちろん、歴史の街、西安での観光がおもしろくない筈がない。
天気もよく、始皇帝の墓と言われる巨大な兵馬俑をはじめ、楊貴妃ゆかりの地であり、西安事件とも関わりの深い華清池、玄奘が天竺の経典を翻訳した大雁塔、論語から何から数々の石碑が立つ碑林、『春望』の頃の長安を思わせるような西安をとりかこむ城壁。
どれも「ほほうー」と感動し、頭の中では「何ダカスゴイゾコレハ」の連発だった。
また、これから見学するところが直前までどこでどういう所なのかわからないというびっくり箱的性質が感動に拍車をかけているのは言うまでもない。
勉強できなげな机とくに半坡遺跡では資料集の中だけの存在だった仰韶文化の甕棺や屈葬の人骨が、目の前で見られるとは思いもよらなかったので得した気分を味わった。
オマケに友人Tが北京で買ったバックの変な模様が、この遺跡の特徴的なマークであると判明し、今まで笑いの種でしかなかったツボ型バックの株が急上昇したのには驚いた。
この時ほど、中国は奥が深いと思ったことはなかった。

思いがけずして我々を魅了して止まない中国、西安。次回は何を見せてくれるだろう。

今思うと、この中国で過ごした1ヶ月は、全く夢のようであった。
写真でしか見ることができなかった中国が今、目の前にある。
想像でしかなかった中国の生活を今、体験している。
そんな感覚を楽しんでは、ふと気づくとなじんでいる自分。
全てが夢であったかのようだ。
つい昨日のようにも思え、遠い手の届かない過去のようにも思える。
日本に帰った後も北京の我が家、あの部屋の恋しさのあまり、うたた寝をしていると、今の自分が日本の夢を見ている北京の自分なのか、北京の夢を見ただけの日本の自分なのか、ふと分からなくなる。
胡蝶の夢症候群とでも名付けようか。
それほど、中国での生活は楽しく有意義なものであった。
この旅に参加する機会を得ることができたことを今、心から感謝している。

留学生用の学生証
今読むと、ツッコミどころ満載の恥ずかしい文章だ。
念のため言い訳をすると、この報告書(文集)は次の年の研修団の参加者に参考として配られるもので、テーマが重複しないよう、予め割り当てられて書いたものだ。
ちなみに私は北京が書きたかったのだが、くじ引きで西安になってしまった。
まぁ、石家荘や上海、蘇州よりは西安のほうが印象深かったのでまだよかったが。
おまけに字数制限があり、倍以上ある原稿をむりやりこの長さにまとめたため、一文一文が妙にまわりくどい文章になっている。
参加者のほとんどが外国語学部の学生であったため、無理やり文学部らしさをだそうとして失敗したいい例ではないかと思う。

現に作家志望の後輩L Kangyuan(コイツは次の年に参加した)に「趣向を凝らそうとした意気込みは感じますが、いまいちです。」と言われたのを覚えている。
そういうL Kangyuan、アンタの文章は一度も読ませてもらったことないぞ!


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1992 
「サークル悟空」の教材(一年次向け)
@北京の交通機関(L先輩著)
A買い物(L先輩著)


1993 
北京の日記
93年7月26日から29日(駱駝)

中国語学研修団報告書
歴史と語ろう・西安の旅(駱駝)


1994
中国旅行のしおり
魅惑の中国〜北京15日間の旅〜(駱駝)