北京の日記1993


1993年7月26日(星期一)
東京―雨 北京―多雲転打雷
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5:30起床―7:17発池袋行に乗る―9:00D会館着―10:00会館発―13:00成田着
15:30成田発CA926―北京時間18:30北京空港着―21:00北外着
夕食・荷物の移動・風呂などの後、1:00就寝
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生まれてはじめての飛行機朝から雨、母上に車で駅まで送ってもらって、池袋経由で東練に行った。
成田までのバスが渋滞で、予定より遅れたが、無事、飛行機に乗れた。
離陸は超感動した。(←生まれて初めて飛行機に乗ったから)
空の眺めは最高だった。
でも、途中で何回も機内がゆれて、なまじ翼が揺れるのが見えるだけにかなり不安になったが、何とか無事着陸できてよかった。
機内食はけっこうおいしかったし、北京空港も思っていたよりも小ぎれいだった。
8時ごろにやっと日が沈み、バスで北外まで行ったが、北京の街は電灯が少なく真っ暗で、その上いろんな匂いがバスに入ってきて慣れるまで苦労しそうだ。
北外の夕食はおやつのようなもので、クッキーやスポンジ、ジュースと甘いおにぎりのようなものが出た。
(いま思えば夕食ではなくちょっとした歓迎パーティだったのかも知れない。)
思ったより、住み心地はよさそうで、風呂場のおばさんもみんないい人そうで良かった。
でも夜になって雷雨になったら、トカゲは窓に張り付くし、12時過ぎたら水は出ないし、虫が入ってくるしで少し驚いた。
とにかく明日からこの部屋で頑張るぞぉ。
―――――――今日わかったこと――――――――
・北京空港の入国手続きは簡単(荷物検査なし)
・水は12時過ぎると出ない→トイレと歯磨きは早めにすませよう!
・風呂場のおばさんはいい人だ。
・ポットのお湯はマジで熱い→前もって冷ますといい
・北京はけっこう蒸し暑い。
・中国はやっぱりチャリだ!
 (↑の補足・北京で初めて見た中国人は滑走路を悠々と自転車に乗って走るおじさんだったからだと思う)
・トイレの紙をゴミ箱に捨てるのはなかなか神経をつかう。。。
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ドアを開けっぱなしで、日記を書いていたら、知らんお兄さんが片手鍋を持ってお湯をもらいに来た。
いきなりの中国語会話にかなりとまどってしまい、まぬけな初会話となってしまった。


1993年7月27日(星期二)
上午曇天―下午有時候下雨―晩上晴天
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6:30起床―7:30朝食―10:00校内見学―11:30昼食―14:00換金ツアー
友誼賓館・郵便局へ行く16:30北外に戻る―18:00歓迎会&夕食
19:00夜の散歩(北外の周り)―20:00風呂―21:30Yの誕生パーティ
23:00日記&絵はがきを書く―1:00寝る
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北外、外賓餐庁の昼食
6時半に起きたが、水が出なくて顔が洗えなかった。
水は7時から出るようだ。
朝食はマントウその他でけっこう満腹。
でも昼食はもっとすごかった。
環境が変わったせいか、すぐおなかいっぱいになってしまう。
それにしても昼食はゴウカだった。
(留学生というよりお客様待遇だったのだろう。普通の学生は食券式だったが私たちはレストランのように次々と皿が並べられてるのをただ食べるだけだった)
校内見学は説明がなかったので、イマイチよくわかんなかった。
まぁ、少しずつわかってくるだろう。
換金して初めて元で買い物をした郵便局では、実際話すときになるとあせって言葉が出ないものだということがよくわかった。
結局、「那个」と「上辺儿」、「謝謝」と「郵票」しか言えなかったのは哀しい。
もっと頑張らねば。
ピカピカの友誼賓館から北外に帰ってテレカを買った。北外、留学生楼
100.5元した。
あとで電話をかけよう!
歓迎会は立食形式で、いつもの食堂の1階でやった。
グラスをすぐに下げられてしまうのが新鮮だった。
お土産に北外のTシャツ、絵はがき、北京の地図をもらってうれしかった。
袋まで役立ちそうだ。
夜、悟空のメンバーとX川ちゃんの5人で散策したら、道の果物屋にいっぱい声をかけられた。
でも全然わからなくて、笑ってばかり。
Yの誕生パーティーはささやかだったけど、楽しく過ごした。
明日から授業、がんばるぞぉ!
―――――――今日わかったこと――――――――
・風呂は9時まで
・風呂に持って行くもの
 下着、ナイロンタオル、タオル、バスタオル
 シャンプー、リンス、クレンジング
・風呂に行くときは必ずサンダル履きのこと!
(シャワー室は留学生楼の裏庭の奥にあり、冬はどうするのだろうと思うほど遠かった気がする)
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換金20,000円→1,032.49元
 絵はがき  2.50元
 切手    32.00元
 テレカ  100.50元
  計   135.00元 (残金897.49元)


1993年7月28日(星期三)
晴天
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6:30起床―7:30朝食―8:00授業(陳老師・張老師)―12:00昼食
13:00郵便局(家へ手紙を出す)魏公村西口→公主墳→王府井14:00王府井着
16:00王府井→公主墳→魏西口18:00夕飯―19:00風呂―20:30Xちゃんのとこで宿題
23:00歯磨きなど―0:00寝る
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北外、教室
授業がはじまった。
1・2限の老師は陳老師で、陽気なおやじさんだ。
はじめ私のことを16歳だと思い込んでいたのであせったが、Y井君も24歳に間違われていて笑えた。
誤解もとけたし、あとでみんなで陳老師の家に遊びにいかせてもらおうと思う。
3・4限の張老師は女の先生で、早口でハキハキしていて少しきびしそう。
けっこう緊張した。(でも1ヶ月後、北京をたつときは陳先生よりも張先生と別れるのが悲しくバスの中でみんな泣いていた。そうして1年後の夏、私とB村は北京の張先生を訪ね、先生に中国語が上達してないことを咎められることになる)
おまけに、いきなり私とY川に宿題が出て、遅くまで419で勉強するハメになった。
午後からは、王府井に行ってTシャツや帽子を買った。
バスで最初1毛だと思ったのに3毛出せと言われて、ぼられたと思って「為什麼?」と聞いたら乗客みんなに笑われてしまった。
行きはスムーズに乗り継ぎが出来たが、帰りは公主墳でバス停が分からず、1区間歩いて疲れてしまった。
行きに1時間で行けたところが、帰りは1時間半もかかってしまい、夕食もぎりぎりであった。
でもバスの人もお店の人も案外親切でうれしかった。
明日は宿題の発表もあるしがんばろうと思う。
―――――――今日わかったこと――――――――
・S田先輩、森T先輩、G田先輩、L木先輩が北外に着いたオリンピックTシャツと北外Tシャツ
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 Tシャツ   3.5元(オリンピックのTシャツは3枚10元のところ1枚3.5元の計算でB村と一枚ずつ買った)
 Tシャツ  11.0元
 雪碧     3.0元
 地図     1.5元(私だけ見本のやつを渡されてくやしかった)
 バス     0.7元(323路3角×1&1路2角×2)←帰りの323路は無賃乗車だったようだ
  計    19.7元  


1993年7月29日(星期四)
晴天
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6:30起床―7:30朝食―8:00授業(張老師・陳老師)―12:00昼食
13:00東院の先の商店街を散策15:001元タクシーで図書城へ
17:001.6元タクシーで北外着18:00夕飯・風呂―19:30みんなで桃を食べる
21:30先輩のところ(602)に遊びに行く―23:00戻って日記を書くなど―0:00寝る
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留学生楼4階の廊下朝、起きるのがかなりつらい。
これで太極拳ができるのだろうか。(←案の定、次の週から始まった太極拳は1週間しか続かなかった)
授業では先生の順序が逆になった。
おかげで発表はあせったが何とかできた。
今日は慣れたせいか、あまり緊張せず授業が受けられた。
陳先生も相変わらず元気で、みんなで写真を撮った。
午後から東院の先の小さな商店が並ぶ街を見てきたがあまり収穫はなかった。
そのままB村とZ内ちゃん、X川ちゃん、S方さんの5人で西院に帰ったら、先生たちに出会って一緒に図書城に行くことになった。
行きの1元タクシーで運転手が警官に捕まったときはさすがにあせったが、途中、道を間違えながらもなんとか図書城につけてよかった。(この運転手は確か、信号無視で公安に捕まった。最初何がなんだか分からず、面倒なことに関わりたくないので、すぐに車から降りて逃げようとしたが、スライド式のドアのたてつけが悪く、開けようにも開かなかった。そうこうするうちに「ついてないぜ(Z内ちゃん訳)」といいながら運転手が戻ってきたので逃亡は諦め、Z内ちゃんに大丈夫なのか聞くよう頼んだ。「大丈夫だ」と答えた運転手は図書城ではなく図書館の前で私たちを降ろした。多分発音が悪かったのであろう。)
でも、帰ってから、買ってきた剪紙を見たら、鳥バージョンのはずが虫バージョンになっており、マヌケなことになってしまった。
おまけにZ内ちゃんとB村にはトイレのドアを開けられるし、ついてない1日だった。
でもみんなで桃を食べたり、先輩たちと602で話してきたのは楽しかったので、まぁよしとしよう。
―――――――今日わかったこと――――――――
・先輩たちの5号楼は新しくてきれいだ。
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 石鹸    1.15元
 まんが  11.0元
 剪紙    3.0元
 美年達   1.2元
 タクシー  2.5元(4人で10元)
 桃子    1.0元(0.6元を5個で2.0)←1斤0.6元の桃を5個買ったら2元だった、それをB村と1元ずつ出したのだろう
  計    19.85元  


この次の日から日記帳はお小遣い帳と化し、8月に入ると、門票(入場券)や車票を挟むだけのアルバムとなりはてた。
毎年日記が1週間と続かない父の遺伝を強く感じる。
思えば現在に至るまで、私が日記を自主的につけたのは後にも先にもこの4日間だけである。


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1992 
「サークル悟空」の教材(一年次向け)
@北京の交通機関(L先輩著)
A買い物(L先輩著)


1993 
北京の日記
93年7月26日から29日(駱駝)

中国語学研修団報告書
歴史と語ろう・西安の旅(駱駝)


1994
中国旅行のしおり
魅惑の中国〜北京15日間の旅〜(駱駝)