広東外語外貿大学 なつかしの留学生楼
懐かしい広外の留学生楼の98年当時の写真です。
毎日、楽しいことがたくさん起きて、良い出会いのあった思い出の場所です。
写真自体はたくさんあるのですが、人の写っていないものは少なく、
ここに載せられたのはこれだけです。
いまではすでに留学生楼ではなくなってしまった建物ですので、
これから広東外語外貿大学に留学しようとする方の参考にはなりませんのであしからず。
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↑留学生楼を正面から。 街へ夜飲茶に行くといつも門限をすぎてしまい、この門を乗り越えて帰ったものです。 男女のふりわけは、3階は男性、2階は女性、1階はいろいろといった風でした。 |
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ロビー正面 入り口を入るとロビーがあり、正面奥に階段があります。 カウンターの奥の階段の下に給湯器があります。 「通知」の内容は 本学期的宿舎費未交完的同学、 請于本月15号前付完(即12月前的房租) 98.12.3 留学生宿舎 つまり今期の宿舎料をはらってない学生は15日までに払ってくださいとのこと。 ちゃんと宿泊料を払ってないのはだぁれ? 留学生楼と呼んでるけど本当は留学生宿舎というのが正しいのかな。 |
ロビー 先ほどの「通知」の前で右を向くとこんな感じ。 左右対称になってるので左もこんなふうに同じ椅子が置いてある。 夕方になると、互相学習(中国人学生と互いの母国語を教えあうこと)をする学生で賑わう場所。 蚊に刺されながら、よくこの椅子でおしゃべりしました。 天井についている緑色のレトロな扇風機は各部屋にも付いていて広州の蒸し暑さを少しだけ癒してくれました。 |
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二階のベランダ 一階と違って、二階は明るくて湿気も少ないので快適。 突き当たりの部屋だけ三人部屋で、残りはすべて2人部屋。 スコールのような夕立が降ると慌てて皆洗濯物を取り込んでいたのを思い出します。 手前の椅子にはよくヒダマロさんが座っていたような。 ここで髪の毛を切ってもらったりしましたね。 庭に生えている木の枯れ葉の中にコウモリが巣を作っていて夕方になるとどこかに飛び立っていきました。 コウモリ(蝙蝠)は中国語でビエンフーという発音で「変福(福に変わる)」ということばに似ていることから、おめでたいイメージがあり、食器や、お正月の飾りなどのモチーフに使われる動物です。 でも糞がくさいので寮母さんたちも「ムカツク!」と言ってました。 |
207号室のドア 私が98年の8月から12月まで住んでいた207号室です。 その前はウェンズが住んでいました。 ドアや窓は全て網戸とガラス戸の二重になっています。 網戸は外側に開き、ドアは内側に開きます。 夏場は、外側の網戸だけを閉めてドアは開けて風を通していました。 この写真は12月に撮ったもので、童心路で買ってきた小さなクリスマスのリースが付いてます。 右隅のお札のようなモノは私の居場所が書いてある手作りの札です。 駱駝「在房間里」「正在睡覚」「出去了」「馬上就回来」などのバリエーションがあったような。。。 |
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102号室 |
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98年の2月から7月までここに住んでました。 同屋(ルームメイト)はロシア人のアンナです。 ちがう日に撮った写真だけど、こうして並べると間取りがお分かりいただけるでしょうか? 向かって右が私の机です。冷蔵庫やテレビが付いていて恵まれてますよね? あれ?電話が見当たらない。たいがい冷蔵庫の上にあったのに。 修理に出していたときに撮ったのかも。 奥のタンスの前がバストイレです。 |
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アンナのベット 変な大きなぬいぐるみに、ファッション誌の切り抜きが若い女の子って感じだけど、壁の絵が怖いと評判でした。 アンナの彼氏が来るたびに変な絵を落書きしていくのよね。 たまに朝起きると、ふとんから4本足が出ててびっくりすることも。 しかも白と黒だったりする。 どうなってるの? 上からぶら下がっているのは蚊帳(かや)です。 もっともアンナが使っているのは見たことなかったけど。 |
私側のベット 廊下に面した窓から隙間風がピューピューと吹き込んで寒かった。 ハルチからもらった桂林のお土産(手毬のような民芸品)が壁にぶら下がっています。 壁に貼ってあるポスターは子供が唐詩を学ぶためのもの。 ピンインつきなのでどっかの本屋でちょっと買ってみたんだと思う。 一つずつ覚えようと思ったけど、一つも覚えなかったな。 蚊帳は意外にすそが長く、ベットのマットの四隅に挟み使用する。 でも刺されるのよね。 |
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207号室の私の机 うって変わって作りが左右対称になっている207号室。 向かって左手が入り口です。 広州にきて半年以上経つと、帰国する同学からお下がりがもらえるので、いろんなアイテムが増えています。 机の一番上のスピーカーはソンジーさんから受け継いだものですが、いまでも誰か使っていたら面白いな。 机の向かって右にかけてあるビニールには私の朝ごはんのコーンフレークが入っています。 その空き箱を再利用して手紙を入れている(左隅の本の奥)のがわかりますでしょうか? |
中秋節の提灯 中秋節のころになるといろんな提灯が出回ります。 なかでも面白いものをお土産にしようと、いくつか買ってきました。 上の写真で、机の脇にかけてあった赤いビニールの中身はこれ。 なかなかかわいいでしょ? 値段も数元と安かった記憶が。 |
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207号室の窓 ドアから入って突き当たりの窓。 右のドアを入るとバストイレ。 壁に付いているスイッチはその電灯&換気扇のもの。 この窓から見える向かいの棟に住んでいる先生もいました。 この窓の下にバドミントンコートがありました。 |
洗面台 先ほどのスイッチの付いてた壁のちょうど裏側がこんな感じ。 洗面台だけど、食器などもここであらうのでスポンジや食器用洗剤がおいてあります。 最初、この洗剤を見たときトイレ用洗剤だと思ってしまいました。 そんな感じしません? (日本だと必ず透明のボトルに入ってるじゃないですか。) この部屋がユニットバスになっていて洗面台とおそろいの色のトイレとバスタブがありました。 |
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洗濯コーナー 3階の角部屋が洗濯コーナーになっていまして、3台の洗濯機がフル回転で使われていました。 男女の別などないので、とくに夜は殺到です。 一番右の横開け式のは、ドイツ語か何かで、使い方がさっぱりわからく、人気がありませんでした。 一度、来た当初、友人3人で一緒に投入したら、水温が40度ぐらいに設定されていたようで仲良く色移りしてしまい、それ以来使いませんでした。 他の2台は中国製の全自動洗濯機。 こうやってバケツで順番待ちをして、時々見に行き、気が付いた人が終わった洗濯物をバケツに出して次の人のを入れてタイマーを回していました。 みんな毎日似たようなものを着ているから、誰のかだいたいわかったしね。ちなみにこの下の部屋は共同の台所。 部屋での煮炊きは厳禁だったけど、みんなこっそり自室で作っていましたね。 |
留学生楼の庭 右が正面玄関。 天気の良い日は寮母さんが洗濯物を干していました。 シーツや枕カバー、布団などは全部寮母さんが洗ってくれます。 部屋の床や、バストイレも掃除してくれるという、ホテルのようなサービス(ちょっとイメージは違うけど)で、怠け者にはこたえられない生活です。 |
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2階の物干し台 1階のロビーの屋根が物干し台になっています。 ちなみに手前の洗濯物は私のだわ。 誰のお下がりだったか忘れたけど、ブカブカのチェックのパジャマが懐かしい。 椅子の置いてある部屋がイエンツァンさんの部屋。 その奥が私がいた207号室。 その隣がシャオシャンさんや、エリさんたち、その隣がハルチ。 そして突き当りにマカオ人のボニーとトレイシー。 お互い行き来して楽しかった毎日です。 |
207号室の壁 写真を現像するとフイルム1本に引き伸ばしサービス券が付いてきて、それで気に入った写真を焼いてもらい貼ってました。 中国影集の原点はこの壁です。 皿のようなのは、ウルムチのバザールで買ってきたアラビア語の絵皿です。 禁煙の札は北門の雑貨屋さんで見つけたものです。 面白いので貼っていたのですが、インドネシア人の同屋は律儀に守ってくれていたようで、気を使わせてしまいました。 |
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大学の正門 最後に大学の正門です。 鬱蒼とした森(並木?)の向こうに留学生楼がありました。 この写真は私が広州にきたばかりのころのもの。 留学中に新しい校舎ができたり、壁を張り替えたりして、みるみるうちに学内が整備されていきました。 いまではずいぶん変わっていると思います。 私たちが暮らした留学生楼は99年の初めに改修され、招待所になったようです。 今ではエアコン付きの留学生公萬が留学生用に使われていることでしょう。 古くても開放的な留学生楼がみんな好きだったのにな〜。 |
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